入社の動機

就活時の野望。「関西初出店」、いや「全国初出店」を私の手で!

就活時の野望。「関西初出店」、いや「全国初出店」を私の手で!

就職活動を始めた時はまだ、シュクレイのことは全然知らなかったんです。地元も大学もずっと大阪。私の学生時代、シュクレイは催事以外では関東以外に出店することはなかったですから。でもそれがシュクレイに入社を決めた、決め手となりました。

大学は料理が上手で服飾の仕事をしていた祖母への憧れもあり、家政学部で服飾や食品などについて学びました。4年間、体育会系の部活に所属し、部長も務めた部活三昧の日々。アルバイトの時間が削られる中で、その合間合間でシフトを入れていたケーキ屋さんの接客が本当に楽しかった。

もともと甘いものが大好き。大学時代のアルバイトも、高校を卒業したらすぐにスイーツのお店でアルバイトをしようと決めていたんです。それもデパートの食品売り場で一番美味しそうなお店で。

小さい頃から祖母によくデパートに連れて行ってもらいましたし、デパートの憧れと大好きなスイーツ、その両方を叶えられるアルバイト。大学受験の入学試験が終わったその日に制服のままでデパートの食品フロアのスイーツのお店を片っ端からみて回り、「ここが一番美味しそう!」って思ったお店に入って。「ここってアルバイト募集していますか?」って訊いて。求人情報も見ずに(笑)。

だから就職活動の時も、スイーツでも最高峰が並ぶ、デパートの食品フロアにあるブランドはやめたんです。「あの時選ばなかったブランドをなぜ今選ぶんだ!」っていう思いに駆られて(笑)。そして考えました。

その就職活動で私が固めた志は「関西初出店、いや全国初出店のブランドを私が大阪に持ってくる」。それでシュクレイなんです。シュクレイほど超絶急成長で、新ブランドがバンバン立ち上がっている会社はほかにないですから。しかも、当時まだ関西には出店していませんでしたし。もう私の中で膨らむ未来イメージを押さえきれないほどでした。

出来事

入社1年半で実現!全国初出店「THE TAILOR」を大阪梅田にオープン

入社1年半で実現!全国初出店「THE TAILOR」を大阪梅田にオープン

入社して一番驚いたのはスピード感。新ブランドがどんどん立ち上がっていくというのは、わかっていましたが、これほどまでのスピード感だとは…、想像以上でした。しかも、入社してすぐにシュクレイが関西に初出店したんです。

「行ける!チャンスある!」って思いましたね。それに1年目、兄弟子制度(※)で姉弟子として私をみてくださっていた佐藤さんが新ブランドの店長になったんです。先輩の背中をみながら「すごい!私も頑張るぞ!」って一層気持ちが高まりました。新ブランドができる度に一緒にプライベートで食べに行ったりして、佐藤さんの存在がすごく背中を押してくれていたと思います。

そしてその日がついにやってきました。東京ミルクチーズ工場 羽田空港第1ターミナル特撰洋菓子館店で店長を務めた後(入社1年で店長=新卒で歴代最短)、THE TAILOR(ザ・テイラー) 阪急うめだ店のオープニング店長に任命していただきました。「全国初のブランドを私が大阪に持っていく」という目標の実現にわずか1年半で辿り着きました。

でも最初は不安でいっぱいだったんです。シュクレイは本拠地が東京ですから、上司も東京ですし、副店長以下のスタッフはすべて大阪での現地採用。まずはたった一人で立ち上げに臨む状態。入社1年半の私にできるのか?しかも新店舗の経験が私にはない…。羽田のお店が楽しかっただけに寂しいし、もう感情の整理がつきません。そんな時に羽田空港の皆さんが送別会を開いてくれました。しかも2回。

羽田チームでの送別会とお店での送別会。みんなに「大阪でも頑張って!」って言われて、プレゼントとかもいっぱい貰って、もう涙涙の送別会でした。それを経て、「そうだ!私はすごいことを任されているんだ!」という自覚が芽生え、火がつきました。

※兄弟子制度:1年目の社員と先輩社員をひと組みとして、深く関わり合いながら1年間を共に育っていくための人事制度

絶対に超えなければいけない壁

DROOLYを、THE TAILORを超えられるようなブランドにしょう!

2019年の11月、THE TAILORのオープン日は開店前から大行列。15時には商品は全て完売し、売上目標の200%という大盛況ぶり。そしてそれが年末までずっと続きました。とても嬉しかったのですが、大きな課題が残りました。それは「何もしなかったのに売れてしまった」ということです。

スタッフは朝一番から毎日フル稼働。蓄積していく疲労と毎日の忙しさの中で、私たちが最も大切にしているはずの「熱狂的ファン創り」ができていない。本来「接客」が目的のはずのなのに「完売」が目的になってしまっている。私の不安は的中しました。バレンタインの繁忙期を過ぎたあたりから売上が落ち始めたんです。もちろん新型コロナウイルス感染症の流行の入口の時期でもありましたが、私がそれ以上に課題感を持ったのは「自分たちの接客で売っていなかったこと」、「お客様にリピートしていただけるような接客をしていなかったこと」です。そしてそれは、私がその環境づくりをできていなかったためです。

その反省を胸に、お店は再スタートを切りました。経営理念を紐解き、接客の楽しさを体感してもらい、アルバイトのスタッフにも「自分たちの接客、自分たちのお店でお客様に喜んでいただける喜び」を感じてもらえるようになりました。

そして3年目の年末、オープン時の売上記録を塗り替えることができました。それは再スタートを切ってからの私たちの悲願。自分たちの接客ではないのに売れてしまった記録を塗り替えることこそ、絶対に超えなければいけない壁だと私は思っていました。

実は記録更新のその日、私はお休みだったんです。シフトのカウント上、どうしても休まなければならず、心はお店に置いたまま、「明日、みんなお願いします!」と休みました。そして私がいない日に記録更新。私がいなくても、みんな自分たちの接客ができている。それが私には何よりも嬉しかったんです。

DROOLYを、THE TAILORを超えられるようなブランドにしょう!

DROOLYを、THE TAILORを超えられるようなブランドにしょう!

オープン時の記録を塗り替え、年を越したホワイトデーの3月。THE TAILORへの思い入れを抱えたまま、私はお店を去ることになりました。新ブランドであるDROOLY(ドローリー) 阪神梅田本店のオープニング店長を任命されたからです。

THE TAILORへの思い入れが強いだけに最初は前向きになれなかった。もう翌々年までのプランも考え、ブランド会議でもそれを提示していたので、その姿勢さえ否定されているように思ってしまったんです。でもそれは違いました。率直に平間部長に相談すると、「THE TAILORでの、この2年半の取り組み姿勢をみて、DROOLYを任せたいんだよ」と言ってくださいました。ずっとTHE TAILORをいっしょに育ててきた、信頼し切っている平間部長のそのひと言が再度私に火をつけました。

「次はDROOLYを、THE TAILORを超えられるようなブランドにしょう!」。

もうTHE TAILORのオープン時のような失敗はしません。アルバイトスタッフにも経営理念を紐解き、熱狂的ファン創り、自分たちの接客、自分たちのお店でお客様に喜んでいただける喜び、この仕事の楽しさを伝えていきました。
そして迎えた4月6日のオープン初日。阪神百貨店のリニューアルを迎え、全店舗から伝わる緊張感ある館内で開店直後、一番前に並んでいたお客様が真っ先にドローリーへ向かってきて下さいました。長く長く伸びる列。

でも今回は以前のように圧倒され、喜んでいるだけではありません。研修での取り組みが実践されるように声を掛けてまわりました。行列に圧倒されて最初は焦ってしまっていたアルバイトスタッフもお会計中にお客様と会話を楽しめるようになりました。バックヤードでは、すべてのスタッフと振り返り時間を設けて、良かったこと、直していきたいことをしっかりと共有しました。

その結果、オープン日はもちろん、開店月の4月も売上目標156.9%と以前のTHE TAILORを上回り、開店後半年以上が経った今も150%超えを続けています。これはスタッフ全員がずっとお客様に「また来たい」と思って頂ける「熱狂的ファン創り」を追及し続けてきた結果です。

百貨店内での売上比も開店からずっと1位を継続し、日々の取組み姿勢に対して贈られるエクセレントセールスアワードも受賞。また6月には売上237.9%という、阪急百貨店と阪神百貨店あわせての実績ナンバーワンという念願を叶えることもできました。

THE TAILOR・DROOLYという2つのブランド、そしていっしょに働いてきたすべてのスタッフから私は多くのことを教えていただきました。これからは、新店舗や新ブランドなどチャレンジする楽しさを次の世代に伝えられる存在になり、私自身も新しいことにチャレンジし続けていきたいと思っています。

水泳も、お店も、一人ひとりが自分と闘い、その成長をみんなで共感できる場所

ルーツ

水泳もお店も、一人ひとりが自分と闘い、その成長をみんなで共感できる場所

幼少期3歳の頃に始めた水泳。小学生からは育成チームに所属し、コーチは本当に厳しかった。それは自分との闘いの連続。幼い頃から「自分で決めた事やろ」と言われて育ったから、歯を食いしばって頑張った。あげくは怪我をしてしまい、中学では水泳はできなかったけれど、高校でマネージャーとして水泳に復帰しました。

高校は自由な校風で、どうしてもその高校に入りたくて偏差値も上げたし、親にも「自分で決めたんやから、いいやろ」と公立を望む親を振り切りました。自由な校風だけに個性的な友人が多くできて楽しかったですね。急に海外に行っちゃったり、大学に入り直すって会社辞めちゃったり、今もみんな個性的です。

そんな高校で驚いたのが水泳部。入学当初は全然入部するつもりはなかったんです。「全国レベルの水泳部って、どんな雰囲気なんだろう」と軽い気持ちで見学に行きました。すると、自分よりも強いはずの人たちがなぜか楽しそうなんです。その雰囲気に私もワクワクしてしまって、どうしてもこのチームに入りたいと思いマネージャーになりました。いま思えば、あの時のワクワク感はシュクレイの説明会で感じたワクワク感とよく似ていたなって思います。

私にとって水泳とは厳しく、辛いものでした。そう、でもその高校の水泳部はみんな楽しそう。正確にいうと厳しさと楽しさが共存している世界です。この仕事と同じですよね。もちろん水泳は基本的には個人競技ですから自分との闘い。一人ひとりが今の自分を超えようと闘っている。でも大会になれば得点制で選手一人ひとりの得点が合算されて学校の順位が決まるんです。これはまさに接客といっしょ。一人ひとりがお客様に最高の接客をして、お店の売上という数字で結果に現れる。私にとって高校の水泳部は、その発見の場でした。小学生の時はただ自分とだけ闘っているだけでしたから。

2つ上の先輩が受験のため、私たちの入部からわずか2カ月で引退してしまい、同期と2人で奮闘した水泳部のマネージャー。それは自分たちで考え、自分たちで動く訓練の場であったかもしれません。最後の大阪私学の大会では総合優勝。マネージャー賞もいただきました。一人ひとりが自分と闘い、その成長をみんなで共感できる場所。この仕事でも、自分と闘い続け、みんなと共感していきたいと思っています。

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