自由に生きたい。楽しく生きたい。

PROFILE

中平 綾香

2023年正社員 登用

販売一部 販売一課 ココリス グランスタ東京店 店長代理

シュクレイと私の人生とのシンクロ

自由に生きたい。楽しく生きたい。自分の好きなことをしながら生きていきたい

私は結構、転々とした人生でして。自由奔放な人生といいますか…、海外に行っていたんですよ、就活もせずに(笑)。

中学生の頃からキャビンアテンダント(CA)になるのが夢で、高校卒業後もそのつもりで外国語大学の短大に入学しました。1年生の時にカナダへ短期留学。カナダへ行ったら、もっと海外に行ってみたい!という気持ちが大きくなってしまって…。日本に帰って親に「今度はオーストラリアに行きたい!」って言ったら「えっ、就職は?」みたいな…、「CA目指してたんじゃなかったっけ」って(笑)。

それで今度はオーストラリアへ短大卒業後に留学しました。日本がストレスというわけではないんです。でももう海外が楽しくて。「海外って本当に自由!ストレスも悩みも何もない」って。そんな1年を過ごしたあと、親に「ごめん、もう1年いたいんですけど」と許しを得て。「次はワーホリ(ワーキングホリデービザ)にするから」ってビザを切り替えて2年目に突入(笑)。

この時点で「夢のキャビンアテンダント」は完全にどっか行ってしまって、「自由に、楽しく生きたい」って思うようになりました。2年間のオーストラリア生活を終え、帰国。出身が愛媛、短大が大阪だったので、帰国後は「東京がいいな」と思って東京に来ました。

自由に生きたい。楽しく生きたい。自分の好きなことをしながら生きていきたい。趣味のライブ通いもしながら、仕事も好きな仕事がしたい。そう思うと、当時は束縛されないアルバイトがいいなと思いました。

せっかく海外に行っていたのだから英語を使う仕事を探そう。職種はやっぱり接客がいい。オーストラリアでもツアーデスクで働いていましたし、キャビンアテンダントを目指したのも「人とは違う特別なことをして、お客様に覚えてもらえるような、お客様の印象に残るCAさんになりたい」と思ったからなんです。

接客を通して人に感動を与えられるような仕事。お客様の思い出にいっしょに残れるみたいな。でも私は東京のことをほとんど知らない。

そこで考えました。「海外の人がいっぱいいるところ=スカイツリー」。当時はインバウンド初期の頃で中国の方を中心に訪日外国人客がどんどん多くなってきている時期でした。スカイツリーで接客の募集をしているお店には、愛媛出身の私でも知っている東京土産の菓子店があり、しかも、そのお店の制服は私の大好きなアーティストを彷彿とさせるデザイン!「この制服が着たい!」という気持ちもあいまって、そのお店に決めました。

シュクレイとの出会い。私の人生とのシンクロ

5年間くらい、そこで働いていましたね。でもコロナ禍になって、そのお店の閉店が決まったんです。社員さんは他店舗へ異動ですがアルバイトの我々はそこで終わり。さて、どうしよう…。

相変わらず私、自分の好きなことにしか興味がなくて。実は当時はお菓子にもそんなに興味がなかったんです。ほかのお菓子ブランドなんて全然知らない。でも唯一、知っていたのがシュクレイのザ・メープルマニアでした。私がアルバイトしていたお店の向かいが催事スペースで、そこでよくザ・メープルマニアが催事をやっていたんです。

なんか、自由で、楽しそうなんですよ、ザ・メープルマニアの販売は。お店が向かい合っているのでお互い意識するんですけど、ザ・メープルマニアは縛られていない感じがする。それぞれが自分の接客をしているというか。対して、私のいたお店はマニュアル重視。見ていて羨ましかったんですよね。だから、「解雇?ラッキー!」って思って。「次はザ・メープルマニアに決めた!」って(笑)。

だから募集しているかどうかも見ないで私、すぐに会社に電話してしまったんですよ、シュクレイに。「働かせてください!」って。そうしたら人事部につながって「いま、コロナ禍なので募集していないです」って(笑)。

それで、このままでは断られてしまうと思って「いますぐではないんです!働きたいのは4月なので!お願いします!」って言ったら、「4月だったら、もしかしたらコロナも落ち着いてるかもしれないから」と言ってくださって。たしか応募フォームを解放していただいて、そこから履歴書を送信したんだと思います。その後、無事に面接を経て、アルバイトとしてココリス グランスタ東京店に配属になりました。

最初はさすがに戸惑いましたよ。前のお店で5年間染みついたマニュアル販売から、今度は「好きなようにやっていいよ」と言われるわけですから。真逆ですよね。でも次第に慣れました。温かく迎え入れてくださいましたしね。

そして何よりも、私の人生のモットー「楽しく生きる」「自由に生きる」とシュクレイの環境が次々とつながっていく感じがしました。

シュクレイには経営理念手帳「こづち」があり、この手帳には120もの経営哲学が記されています。社員はこの120の経営哲学を日々実践しているわけですが、アルバイトにも12項目に絞った「miniこづち」が配布されます。その中に「楽しく取り組む」という項目があるんです。「こういうのがあるのか」「だからザ・メープルマニアの販売は楽しそうだったんだ」と納得しました。

それに向かいのザ・メープルマニアをみながら「いろいろなことをやってくるな」と思っていたのも、入ってみれば、超現場主義(現場の長である店長、製造ラインリーダー、営業拠点長が独自に判断できる仕組み)やWSR成功サイクル(Planに時間を掛けすぎない、より実践するスピードとエネルギーを重視した経営を反映できるPDCAサイクル)が全社に浸透しているからと気がつくんですよね。現場であがった意見が日々次々と反映されていくわけです。

私の人生のモットー「楽しく生きる」「自由に生きる」と「楽しく取り組む」「超現場主義」はまさにシンクロしている。その実感が日に日に増していくのを感じていました。

自由な発想で、もっと楽しく働きたい!今度は自分が引っ張っていく立場になりたい

当時、付き合っている人がいて、別れたんですよ。別に結婚したかったわけではないし、むしろ「一人でいる方が楽だな」って思うようになって。どこかのタイミングで正社員になろうと考えました。

今も「一人がいい」「誰にも邪魔されたくない」という気持ちが強いです。でもそのためには経済的な自立は必須ですよね。だから正社員。

それまでの私って、正社員になって責任を負うと、自分の人生のモットーである「自由に生きる」「楽しく生きる」を失ってしまうのではないかという危惧があったんですよね。だからずっと、正社員を避けてきたんです。

この時に彼氏と別れたことは私にとって、めっちゃツイてたんですよね。そこから人生、ずっと上がっていますから。ちょうど年齢も30歳くらいだったと思います。やっと大人になった(笑)。

それに、「自由な発想で、もっと楽しく働きたい!」「自分で考えて行動して、みんなを引っ張っていきたい」って考えた時、やはりアルバイトではなく、正社員だと思ったんです。「これまでは社員さんに引っ張ってもらってきたけど、今度は自分が引っ張っていく立場になりたい」って。

ちょうどその正社員になろうと考え出した頃、元彼のお姉さんにも英語を使う仕事を誘われていたんです。外国人向けのコワーキングスペースのスタッフ。ワーキングスペースや貸会議室があるところですね。

たしかに英語を活かせますし、せっかくのお話。でも話が進むにつれて、何か向いてないかなと思って。やっぱり、英語を活かせるということよりも、性格とか生き方とかが合っている方が大事なんじゃないかと思うようになって。自分らしく働けるのは、やっぱりシュクレイなんだなって思いました。

実はココリスの本間店長にもコワーキングスペースにするかシュクレイにするか相談していたんです。「自分の人生だからね。自分でしっかり考えて決めればいいと思うよ」とアドバイスをくださって。だからシュクレイに決めた時はすごく喜んでくださいました。

ずっと笑顔でいること。初めて気がついた私の強み

正社員になると決めてから実現するまでのスピードは、ものすごく早かったです。2023年の1月に決めて、2023年の3月21日には社員になっていましたから。この短い2か月の間に大きく2つの課題を行う必要がありました。

ひとつ目は課題図書を読み、作文を書くこと。課題図書は、河越会長の著書です。その中に書かれている創業からの会社の歴史に対して共感した部分と自分についてまとめました。

ふたつ目は、自分の未来と強みについてのワークシート。茂木部長と面談を繰り返しながら、このワークシートをまとめていったのですが、これは本当に発見でした。改めて自分を知ることができた気がします。

私は本当にちゃらんぽらんに生きてきたので(笑)、自分について言語化することなどしたことがなかったんです。つまりは自分を知らなかった。

でも茂木部長といっしょにこのワークシートを進めるうちに、これまで自分が当たり前にやってきたことが、実は自分にも周りにもプラスの影響を与えていたことに気がつきました。それによって自分がいるべき理由とか正社員になるべき理由がもっと明確になったと思います。

例えば、ずっと笑顔でいること。私、ずっと笑顔で、気分も一定なんです。人って、下がる時とかあるじゃないですか。でも私、ないんですよ、それが。いつも元気。やっぱり売場ではそれが一番大事ですから。

でも最初はそれが自分の強みだってわからなくて。茂木部長が「それ、当たり前だと思ってる?」「それができる人ってなかなかいないよ」と教えてくださって。「そうなんだ、これって私のいいところなんだ」と初めて気がつき、改めて「そういう人でいよう」と思いました。

面接はもう緊張しすぎて何を話したか覚えていません。唯一の記憶が「緊張しすぎて汗がすごいです」と社長に言ったことだけです(笑)。

それで、その日のうちに茂木部長から結果の電話があって。私、その時帰りの電車に乗っていたんですけど、途中下車して掛け直して。その時の部長の第一声が「おめでとう!よく頑張ったね!」という言葉だったのをよく覚えています。

第一の限界突破。古巣ココリスへ副店長として異動

私の社員デビューは平社員を経験することなく、新店の副店長としてのスタートだったんです。いきなり役職がついていたので、まず社員になって変わったことといえば、「みんなが安心して働ける職場づくり」への意識ですね。そこはもう絶対忘れないようにしていました。

新店はそれまでいたココリスとは違い、小さな店舗だったので、さっきお話ししたような自分の強みを活かしながら「みんなで頑張ろう」って和気あいあいとやっていました。楽しく取り組んで、みんなとの関わり方を大事にして。売上もそこそこ予定はクリアして。

でも1年後の2024年4月、私はもといたココリス グランスタ東京店へ副店長として異動することになりました。ココリス グランスタ東京店は東京駅限定手土産売上ランキングで7年連続1位(2026年現在)を獲得し続けているお店です。ただでさえ売上規模が大きいお店なのに、さらに私のいない1年間で、すさまじいシンカを遂げていました。それはもう私の知っているココリスではなかった…。

売場に入って最初に感じたのは圧倒的な販売力の高さ。販売スタッフ14人全員が、当事者意識を持って、売上最大化に向けた行動をしている。

対して私は言われた事しかできない。周りの状況が分からず何も判断ができない。副店長なのに何もできない自分が悔しくて、店頭で涙をこらえる日々。毎月の本間店長との面談では、自分の心情を話して泣いてしまうことも多かったです。

でも本間店長に「それだとみんなは中平さんに付いてこないよ」と言われた時、思ったんです。私は副店長として当たり前のことができていない、と。

自分のことでいっぱいでみんなのことを見ていないから、褒める事ができない。感謝の気持ちさえも忘れている。私は「ありがとうございます!」と伝えるのではなく、「すみません」と謝ってばかりでした。みんなに気を遣わせてしまって、フォローしてもらうと謝らないといけない環境を、副店長である私が作ってしまっていたことに気づき、これではダメだとハッとしました。

面談後すぐに売場に戻り、スタッフをたくさん褒める!いいところを盗む、そして感謝する!何があってもツイてるね!と前向きな言葉を発し、みんなを不安にさせない。そうして今までの自分を取り戻すと同時に、みんなとの信頼関係を築いていきました。

それでも私が4月に副店長として異動してからは1度も売上の予定数字には届いておらず、深刻な状況です。そんな時、当時の若松店長代理が他店に異動することになり、店長、副店長の2名体制になりました。

このまま売上を落とし続けたらどうしよう。私に何ができるんだろう、と悩んでいたら、本間店長が「中平さんがシンカするチャンスだよ!まずは自分が1番売る姿をみんなに魅せて、みんなに認めてもらおう!」と背中を押してくれました。

でもどうしたら売れるのか分からない。その時、茂木部長からハッキリとした答えをいただきました。「いま目の前に6等級スター店長の本間さんがいるじゃないか!すごく恵まれた環境なのになんで訊かないのか!」おっしゃる通りでした。

私はずっと本間店長のようになりたい!本間店長の右腕になりたい!と思っているのに、何ひとつ行動に移していないことに気づきました。

それからは本間店長に訊きながら実践を繰り返し、ついに10月、売上前年比を突破。この前年比109%は毎月あきらめずにシンカし続けた結果です。でも、この時私はまだ何もわかっていなかった。

北海道で開催されるグループ全社の大会でこの話を私が発表する成果発表大会に向かう電車の中、茂木部長、本間店長、私が並んで座っていた時のことです。

茂木部長が私におっしゃったんです。「これからだからね。スタッフを魅了できないと(肩書きも)意味ないよ」と。その意味がまだ当時の私はわかっていませんでした。

第二の限界突破。店長代理としてココリスを牽引する

2025年4月、本間店長は6等級スター店長兼マネージャーに昇格。私はココリス グランスタ東京店 店長代理という肩書きを拝命しました。

本来は店長がいて、店長代理。でも本間マネージャーは「店長兼マネージャー」なので、店長代理の私がお店をまわさなければいけない。つまり私は実質、店長。

ところが私がお店を任された途端、売上が落ちたんです。本間マネージャーがいないと売上が上がらない。正直、一時は店長代理をおろされそうなタイミングもありました…。

でも本間マネージャーは「大丈夫。絶対サポートするから!」と言ってくださって。そして面談の時に、本間マネージャーに言われたんです、「自分の意見を持ちなさい」と。

私はずっと「本間マネージャーみたいになりたい」と思ってきました。理想はある。でもそこを履き違えていて、「本間マネージャーにならなければいけない」と思っていたのだと思います。

そこには自分の意志が何もない。売場に対しても、お客様に対しても、スタッフに対しても。

「本間マネージャーと同じ答えを言わなければいけない」「本間マネージャーの思っているとおりにやらなければいけない」。そう思うあまり、ずっと「どうしたらいいですか?」と本間マネージャーに訊いてばかりでした。まさに思考停止状態。

スタッフから何か訊かれても「本間マネージャーに訊いてみるね」では、スタッフからしても頼りないですよね。それに気づいた時、あの言葉を思い出しました。北海道の電車の中で茂木部長がおっしゃった言葉です。

「これからだからね。スタッフを魅了できないと(肩書きも)意味ないよ」。

そこから私は変わりました。怒られてもいいから、まずは自分の思ったことをスタッフに伝えました。もちろんそれで失敗しても本間マネージャーはサポートしてくれます。教えてくれる。失敗しても一番の味方は本間マネージャーなんです。

そして現在、売上は上がっています。本間マネージャーがいなくても私がみんなを牽引する。結果を出す。それが本間マネージャーへの恩返し。

最近になって、本間マネージャーと私の何が違ったのかを振り返ると答えははっきりとしていました。

「スタッフを魅了しているか?」そう、茂木部長の言葉が答えそのものです。

「本間さんのために頑張ろう!」と本間マネージャーに魅了された私が思うのと同じように「中平さんのために頑張ろう!」と思ってくれるスタッフがいるかどうか。背中で語ることができているかどうか。

先日、自分たちで決めた売上予定に届かなった日がありました。でも8月の単月は過去最高値を出していて。それで私、スタッフを褒めたんです。「昨日めちゃ頑張ったじゃん!すごいじゃん!」って。

そうしたら、スタッフがボロボロ泣き出して…。「本当は予定行きたかった」って泣けるくらい本気で取り組んでくれているんです。その本気が嬉しいし、私も少しは背中で語れているのかなって。

この経験を通して私はわかりました。私は失敗が怖かったんです。でも今ならわかります。自分で判断して失敗することが成長には必要なことだと。

「失敗しなさい。何回でも失敗しなさい。それが次につながる」。それがシュクレイなんですよね。1年かかってしまったけど。成長するために。

そして、昨日ちょうど言われました、本間マネージャーに。「いつも売場を守ってくれて。本当に私の右腕だから。私もマネージャー職、自分の仕事もできるし、売場を離れられるし」って。嬉しかったです。

自分で判断するって決めてからは私誰よりも本間マネージャーに怒られています(笑)。もう自ら地雷を踏みに行くのが慣れっこで(笑)。本間マネージャーも「私に散々怒られても中平さんはいつも笑顔だよねー!」って(笑)。本当にいい関係性です。感謝しています。

でも本間マネージャーがおっしゃってくださるように私は「どんな時でも笑顔」。本当に「笑顔」だけでここまで来たって思っています。経営理念手帳こづちでは、「笑顔」を「咲顔」と書くんですけど、それを地で行っている。私の人生はまさに「咲顔」の人生です!